「ちょっと意外」
「なに?」
「HTML5ってFlashを置き換えられる技術であって、プログラミング言語の一種だと思っていた」
「文書を記述するマークアップ言語じゃないの?」
「HTML4までは建前上そうだった。しかし、HTML5になると、もう文書の構造をマークアップするような言語ではない。プログラムで必要に応じてツリーを書き換えて、構造もへったくれもない単なる表現技術。そう思っていた」
「それで?」
「でもね。aside要素とか、そういうものがわざわざあって、それを使わねばならない。それを使った方が良い。セマンティクスの筋を通すことが良いことだと主張するサイトを見てしまい、目から鱗が落ちたよ」
「セマンティクスはHTML5でも死んでいなかったのだね」
「そんなものを意識してHTML5を使ったことは無い」
「じゃあ、今日から悔い改めてHTML5を扱うわけだね?」
「いいや。そんな気は無い」
「えー」
「そういう人もいる、というファクトだけ頭の片隅に入れるが、開発の方法論を変える気は一切ない」
「なんでんだよ」
「セマンティクスが要件の一部でない限り、それはYAGNIであり、開発効率を落とす悪であると見なせる。不必要なものを切り落とすことがまずソースコードの健全性を担保する第1条件なのだ。それに反するものは全て悪だ」
「つまり、本当に重要なのはソースコードだけであり、HTML文書など表現の都合で生成されるツリーに過ぎない従属的なもの、ということだね?」
「そのような世界観を受け入れがたいと思う人もいるだろうが、動かないプログラムの価値はゼロであるという意味で、まず動くことが第1。全ての理想論は動いた後の話だ」
「動いた後なら考えてもいいわけ?」
「予算と時間が残っていればな」
「残せばいいんだね?」
「まず残らないけどな」
「ぎゃふん」